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新・無限星への手紙
ジャニーズ(主に関ジャニ∞)とジャニヲタに愛ある毒吐きまくりブログ。
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私は、エイトが5人で動画メッセージを出してくれて、二度目の47コンをやるって聞いた時点で、腹が決まった。



物忘れが激しい私がいまだに忘れられないあの日。
2007年3月2月(訂正)初めての京セラコン。内の脱退が正式に発表になってから初めてのライブだった。

たしかオーラスのアンコールだったか。「ズッコケ男道」のリリース発表に引き気味にどよめいた(タイトルが微妙すぎて)エイター。これが一番のびっくりかと思って帰り支度を始めようとしたら、ステージの幕に音もなくエンドロールが映し出され、まずはGWからの横アリ、そして滋賀、三重、奈良・・・なんだこれ・・・・大分、長崎、新潟、和歌山!?・・・次から次へと映し出される地方会場名。なにこれ!!!ぎゃーーーー!と47コンが発表された。
ガチなドサ回り(地方巡業)の発表に度肝を抜かれた。

あの頃は、まだ仕事も少ないメンバーも多く、毎日のように1日2公演やって、すぐ次の街へ移動してを5ヶ月間も繰り返すことが状況的にも体力的にも可能だった。
私も当時はフリーライターになったばかりで通勤義務がなかったので、結構な数の会場を一緒にツアーして、楽しむだけなはずの私も結構大変だったのを覚えてる。

あれから12年。今じゃ関ジャニ∞を個人の仕事もたくさんあって、それなりに年齢も重ね、このタイミングで47コンを宣言したことに、私はエイターとして応えたいと心が震えた。



錦戸がシンプルな一言で脱退・退所の挨拶をして、メンバーへの言葉はまったくないし、もっと彼の言葉を聞きたいという意見もたくさん見かけたけれど、私は錦戸らしいなと思った。他のメンバーと違い、錦戸はグループのことを多く語ることは少なかった。錦戸としては、きっとこのツアーをやり遂げたことが残される5人への想いの表現だったんじゃないかな。
今後のことは行動で見せてくれるとわかってるから、後ろ髪引かれるような気持ちはもうない。

今となっては、錦戸の感情の浮き沈みはあれど、15周年のツアーをやり遂げてくれたことに感謝してる。このツアーはエイトの継続のためであり、噂を否定しないことで(個人的には)お別れの覚悟をしてライブ参戦できた。
メディアを通して何度もお別れの機会をくれて、メンバーとも円満にさよならしてた(でもライブで会えなかった事は後ろ髪がっつり引かれたけど)渋谷脱退の時とは違って、決意の上でやり切った錦戸に敬意を表して、割とさっぱりと見送れる感じです。


横山は、いつの間にか多くを語らなくなった。レコメンやってた頃は、何かあると横山の言葉を待つのがお約束だったよね。仕事の世界でもそうだけど、ポジションを譲ることが下を育てることにつながるってよくわかってるんじゃないかって思う。目立ちたい、カメラに映りたい!って頑張ってたのに、下の子たちをたてるように横でにこにこしてる横山の愛は偉大だと思ってる。

村上は、一番忙しいだろうし、正直ピンでやってけるだけの実力もあるというのに、最後のひとりになっても関ジャニ∞を続けるときっぱり言ったし、それを証明するかのように、一番体を張って楽しませようと全力で向かってきてくれる。それが面白いとかセンスがあるとかどうかは別として、そういう姿勢がエイターとグループへの愛を感じさせられて、すごく勇気付けられた。

丸山、脱退の公式発表以降、一番最初に「丸の大切な日」更新してくれたね(9/7土の1:46現在、今週のレンジャーの更新はなし)。エイトで一番気が弱くて、きっと今回の話し合いでも全員の気持ちに寄り添って、自分がどうしたいか迷って、強く主張できないでいたんじゃないかと思う。意思が強くて頑固だったり、言葉が巧みだったりする個性的なメンバーの中、こういう個性があることはひとつの貴重なバランスだと思う。

すごいね、安田は。もどかしく辛い日々はまだ続いてるのかもしれないけど、それを感じさせない、かつて以上のパフォーマンス。アイドルらしからぬルックスになってしまったけど、(大倉は誰がメインやるかの争いになるとか言ってたけど)センターを勤めるにふさわしいパワフルな求心力。メインボーカルを勤めた渋谷と錦戸がいなくなった分を十二分に背負って歌えるのは、安田しかいない。

大倉は立派なプロになったよね。最初の47コンの時は天真爛漫というかプロ意識がまだまだ低くて、ここでも赤字記事ナンバーワンだった。いつの間にかグループを代表して発言するぐらい頼もしい男になって。レコメンなき今、大倉のラジオが真実の声をダイレクトに聞ける唯一の場所になったね。自分だけ否定できなくてもどかしかったと言った大倉の言葉、すごく救われたよ。


やっぱり関ジャニ∞は、全員漏れなく、行動でしっかり見せてくれる。
ついてゆく理由は、これ以外にない。

拍手[17回]


以下、記録用の引用。

関ジャニ∞から錦戸亮(34)が脱退し、9月末でジャニーズ事務所を退所することが5日、明らかになった。発表を受けてこの日、村上信五(37)大倉忠義(34)が都内で日刊スポーツなどの取材に応じた。

昨年夏のツアー後、9月ごろからメンバー全員で話し合ったという。一部で錦戸が解散を主張したという報道もあったが、大倉は「誰かがとかではなく、全員が『グループを閉じたほうがいいんじゃないか』っていう案を出したりしました。(渋谷)すばる君や、ヤス(安田章大)のこともあって、疲弊していたので、ポジティブな方向にはなかなかいけませんでした」と明かした。村上も「ああでもない、こうでもない、と紆余(うよ)曲折でした」と話した。

4、5回の話し合いを経て、今年3月末に現在の形で結論が出た。大倉は「それぞれが人生と向き合うタイミングにもなった。チャレンジの方向性が違ったのかなと思います」と振り返る。一部では大倉も脱退の報道があったが「親にも『あんた辞めるの?』って言われました。僕だけが(脱退を)否定するわけにもいかなかったので。それは(心配させて)申し訳なかったです。辞めないです! 僕は」と否定した。

今月3日が、6人では最後のステージとなった。錦戸と同期の大倉は「22年間くらいの仲で、幼なじみみたいなものなので、『長い間ありがとう』みたいなメールは送りました。亮ちゃんからは『こちらこそありがとう』みたいな。『お互い頑張ろう』となりました」と明かした。

11月からは、47都道府県ツアーも始まる。約半年間、非常に過酷なスケジュールとなるが、村上は「間を空けたら、ホンマに休んでしまいそうやし。それに、姿を見てもらったほうがファンの人たちも安心するんじゃないかと思って。スタッフさんに無理言いました」と話した。

大倉は「誰がメインボーカルになるか、っていう争いです。亮ちゃんにも頑張ってほしいって気持ちもありますけど、自分らで精いっぱいですから」と前向き。村上は「やるっきゃない、という腹づもりです」と力を込めた。【横山慧】

関ジャニ村上、解散案で「紆余曲折」錦戸慰留叶わず by日刊スポーツ [2019年9月6日4時0分]
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